みんなの運動会~五個荘伊野部町「伊野部町民親善運動会」

五個荘伊野部町は、五個荘地区の一番東に位置し、町の二方を観音寺城の支城である箕作城が築城されていた箕作山に囲まれた、47世帯、人口約180人の自治会である。

町の南北に主要な用水源をもっており、下流の水源として早くから開かれた地である。

町内にある建部神社は、第6代孝安天皇のときに箕作山の南側(伊野部側)中腹に建立され、第40代天武天皇の675年に今の大津市瀬田に遷されたという建部大社の創建地である。

建部神社の大鳥居

建部神社の本殿

建部神社には樹齢約500年を数える幹回り5.75mの巨木の欅がある。大正時代の『近江名木誌』にはじまり、昭和、平成と滋賀の名木、巨木として紹介されており、近年では「パワースポット」、「癌封じの欅」として注目を集めている。

癌封じの欅~パワースポットとして注目されている

ちなみに平成20年(2008年)1月に五個荘伊野部町(以下「伊野部町」という。)が発刊した『ふるさと伊野部のあゆみ』(以下、『あゆみ』)によると、伊野部という町名は「稲部杯」から転じたものか、古くは「伊野辺」とも書かれていて「野辺」に「伊」の発語を添えたものかは定かでないとされている。

古(いにしえ)からまとまりのある農村集落として栄え、その営みを伝承し続けている伊野部町。

『あゆみ』の第11章には「伝承・しきたり・方言」が紹介されていて、五個荘伊野部町の人々の暮らしの様子を窺えて興味深い。

例えば、「家建粥」(やたてがゆ)というものが紹介されている。

「新しく家を普請して床板を張った時点で、歳徳神(さいとくしん)がいるとされる明きの方(その年の干支によって定められる最もよいとされる方角)から拾った小石をよく洗い、これを中に入れたお粥を炊き、喜びを分かち合うため村人に振るまった行事。親戚はお祝いに、コンニャク、漬物等を提供した。村人の大勢がお粥を頂いたものである。お椀の中に石が入った人は。、『次に自分も喜びが廻ってくる…』といってその石を大切に神棚に祀った。」

伊野部町では、建部神社、箕作山正福寺などの神仏を大切に護りながら、暮らしの安寧を願い、豊かな村づくりを願う人々の営みが連綿と紡がれてきた。

箕作山正福寺

『ふるさと伊野部のあゆみ』(2008年1月1日発行)

『鎮守の森と建部神社』(2020年4月1日発行)~『ふるさと伊野部のあゆみ』の補遺として発刊

 

そんな営みのなかの一つに運動会がある。

伊野部町のなかでは最も新しい行事であり、スポーツ推進員が担当して開催する。

『あゆみ』に収録されている「年中行事表」には10月に「区民運動会」と記されている。区民運動会は、五個荘町時代の昭和62年から始まった。平成27年10月に開催した「第29回区民運動会」を契機にスポーツ推進員で話し合って一旦見直すことになった。

伊野部町にも、もちろん少子高齢化の波は押し寄せている。

子どもの数が減り続ける一方、高齢者の数は増え続ける。長寿化は喜ばしいが、運動会の準備等の負担が大きくなってきたからである。

自治会長の北川宏さんは「手間(住民負担)より親睦です」と話す。

見直された結果、運動会は住民同士の交流・親睦に重きをおいて3年に1回の開催、その間はグランドゴルフ大会を開催することに決まった。

「第30回伊野部町民親善運動会」と改称した第30回運動会が、平成30年10月8日(月)の体育の日に開催された

会場は草の根広場。自治会あげてグラウンド整備を行う。スポーツ推進員と福祉健康推進委員会のメンバーはグラウンド整備やテント立てなどの会場準備を行う。ちなみに福祉健康推進委員会は評議員から2名と各種団体の長がみんな委員となっていて、10名ほどで構成されている。

もちろん、当日の運営も一緒に行う。

秋晴れのなか、午前9時に開会。伊野部町のほとんどの人が参加する。

運動会のプログラムと出場者は次のとおりである。

No.種目出場者など
1開会式全員
2ラジオ体操全員
3借り物競争希望者
4満水リレー子ども会・老人会
5大縄跳び12人×2・各チーム
6ガンバレ!! ちびっ子幼稚園以下
7いざ!! 出動特設消防
8コントロールはおまかせ婦人会・子ども会
9ジャンボバトンリレー15人×2・各チーム
10玉入れ各種団体
11大綱引き15人×2:各チーム
昼食お楽しみ抽選会
12ウルトラクイズ希望者
13閉会式全員

「No.7:いざ!! 出動」というプログラムは、「火事だ」「いざ出動!」を号砲に、ヘルメットをかぶって法被を着て消防態勢を整え、どんごろす(麻袋)に足を入れ飛びながらゴールへ向かい時間を競う。特設消防団の50歳代から60歳代の男性20人が訓練を兼ねた競技を行うのである。

特設消防団の出番はこの競技だけではない。

ほぼ全戸の住民が参加するので、町内の家が留守になる。空き巣が心配だ。そこで、特設消防団が手分けをして町内のパトロールも行うのだ。

「No.8:コントロールはおまかせ」は、スタートの号令で、ラグビーボールがセットされている地点まで走る。そして、そこからボーラグビーボールを蹴って設置されたカラーコーンを周り、ボールを元の場所に戻してゴールする。

「No.9:ジャンボバトンリレー」は、ジャンボバトンを3人1組で脇に鋏んでリレーする。メンバーの息があうかどうかが勝負を決める。

競技性をもちながらも、和気あいあいと楽しめるプログラムとなっている。

昼食はお弁当をみんなで食べて交流し、親睦を図る。

そして、「お楽しみ抽選会」である。運動会のプログラムは町内全世帯に配布される。そのプログラムには番号が振ってある。1軒に1つの番号だ。そして抽選。1等から47等まで決める。ちなみに1等の景品はアウトドアグッズで47等は軍手。抽選会はやはり盛り上がる。

昼食後にクイズに○か×かで回答する「ウルトラクイズ」で楽しみ、閉会となる。

運動会には、就職や結婚で町から出た人も帰ってくる。

「高校生は余り参加しませんが、意外と若い人が来てくれます」と北川自治会長は話す。

年に一度の町をあげての親睦の場であり、「みんなの運動会」なのである。

伊野部町は世帯の増減がほとんどない自治会だ。人の出入りが少ないのである。

『あゆみ』によると、伊野部の世帯と人口で最も古い記録(井伊家文書)では元禄8年(1659年)の63戸、298人とのことである。人口でいうと記録上(物産誌)明治13年(1880年)に60戸、302人がピークであった。

現在小学生は5人、中学生は3人である。青年男性も一桁台となり、昔は「屁こき角力」とも呼んでいた「奉納相撲」を続けるにはそろそろ限界に来ているという。

奉納相撲奉納相撲の様子(『鎮守の森と建部大社』より)

しかし、町内の結びつきは強い。

今年度のスポーツ推進員で箕作山正福寺住職の関正見さんは、平成7年(1995年)に伊野部町に転入してきた。関さんの後に伊野部町に転入した男性はいないという。

関さんは「はじめて運動会に参加したときに親切に親しく声をかけてくださり、一升瓶を並べてお酒を注いでくださいました。本当に強烈に歓迎してくださり、大事にしてもらっています」と当時を振り返って話す。

「一人暮らしになっても安心して暮らせる町が伊野部町です。」と福祉健康推進員の辻野さんは話す。

次回開催は令和3年10月11日(月)の「スポーツの日」。

コロナ禍が収束し、伊野部町の「みんなの運動会」が晴れ晴れしく開催されますように。

 

(聞き手:木村光男・北川友一・奥村 昭)

(報告:社会福祉法人六心会 地域支援担当 地域支え合い推進員 奥村 昭)