五個荘の災害史

五個荘の災害史・・・【台風と水害】

 

過去に発生した災害を知り、実際にどのようなことが起き、その時人々は何をどのように感じ、どのように行動・対応したかを知ることは、これから起こるであろう災害への備えとして非常に大切なことだと言えます。

先人の歴史に学び、それを教訓とすること、そして将来へ語り継ぐことも今を生きる私たちの役目かもしれません。

1959(S34)年9月の伊勢湾台風はじめ、五個荘に関する災害の記録をまとめましたので、ご覧下さい。

(六心会 地域支援担当 奥村昭)

 

〇水害情報発信―水害の記録と記憶―(滋賀県ホームページより

https://www.pref.shiga.lg.jp/suigaijyouhou/gaiyou/rireki/105732.html

<五個荘奥町 昭和34年伊勢湾台風>

【昭和34年伊勢湾台風時の状況】

ひと月前に襲ってきた台風7号によって、愛知川の御幸橋上流が決壊し、愛知川町や八日市市域で多くの家屋に浸水被害が出た。その傷跡が消えないうちに襲ってきた伊勢湾台風によって、愛知川は4か所で決壊し、再び、旧愛知川町や旧八日市市、水茎干拓地などで被害が拡大した。

(体験者の語り)

雨やら風やらが強うて、常時ここらは警戒態勢に入ってました。

その当時、私消防団に入ってまして、水がどんどん増えて、上流の方では木を流して水を押さえるようなことを、4・50人出てやってはりました。

その後どんどんどんどん水が増えてきて、「これはもう危ない。もうやめとこう。」言うてみんな引き上げた。

以後、消防団だけが堤防の警戒に行ってたんやけど、風と雨が強く、堤防はちょっと高いとこやから体が飛ばされてしまうで、四つんばいで警戒しておりました。

その当時、昔の人が堤防が揺れるっていうてたとを聞いて、そんなに堤防って揺れんねやろうかと思ってましたが、実際、四つんばいになってたら堤防がぐっと動きよる。それにはびっくりしましたわ。

それから、水はどんどん増えてくるし、もう堤防いっぱいまで来て、堤防がバサーバサーっと流失するわけや。もう、これは危険やと引き上げました。

その後10分程したら、水がガーっと引いた。何で引いたんかというと、上流の2箇所で決壊した。それで水がずーっと引いて、それでまあ、難を逃れたんじゃけどな。危機一髪いうとこまで行きました。

台風の時は、南東の風やろ。風が吹いてきたら、水をこっち(左岸側)に寄せてきよんねん。ほんで、どんどんどんどんこっちの水かさが上がりよんねん。そやから、堤防の上を水が流れたった。

泥水が流れてきたら、ほんまに水の上は真っ白なんやわ、泡でな。それは、恐ろしいわ。もう、水の音もゴーいうて、大きい木がどんどん流れてきたんや。もうそれで、集落だけは何としてでも守らなあかんと、みな必死でした。

ほんで、昔から、愛知川のずっと上流から、堤防を切っといて水が遊水地へ流れるようにしといて、しばらくしたらまた愛知川に戻っていく「霞堤(かすみてい)」いうシステムになってる。上から、順番に水をちょっとずつ押さえていくいうことやな。

そやから、あっちの堤防こっちの堤防ゆうて、少しずつ切れてます。で、ここらは、幾重にも藪があって、藪の中に堤防がある。

 

〇「五個荘町報 第11号」(昭和34年11月10日 五個荘町役場発行)より

<小杉守一町長>

「予期せない台風に再度襲われて、一時はただぼう然たるものがあった。災害を被られた方々に対し御見舞申し上げると共に、なす事もなし得なかった非力をここに深く御詫び申し上げねばならない」

<中村哲三消防団長>

「本年は特に町と致しましても八月九月と二回も何十年来の水害に見舞われまして、消防団と致しましても待期に警戒に又出動にと努めたのでありますが、限られた人員と全町に亘る大小の被害の為に十分なる御援助が出来得なかったのでありますが、この点悪しからず御諒承を頂きたいと存じます。しかし私はこの水害時に消防団員の内にも被害を受けながら進んで警戒に出動に我が家を省ず、消防団員の本来の責務を遂行せられた人々及び各字区民の方々の献身的奉祀作業を目のあたりに見るにつけ誠にその御苦労に対し深く感謝の意を表す次第であります。」

〇『川並のあゆみ』(平成11年3月30日 五個荘町川並区発行)より

大門地先の水害

「今を去る昭和34年(1959)8月13日のことである・朝からかなりの雨模様となり、次第に本格化してきた。(中略)あれは多分に雨、台風の兆候があったのか終日降り続き夜半九時頃か床に就こうかと思う一時、地鳴りというかすさまじい轟音濁流により土砂岩石に打ち崩されし竹藪の割れ響く音と共に辺り一面は瞬時に泥沼化した。直撃を受けた一部の民家は床上位の浸水を受け大門川は土砂にうもり流水は里中地蔵堂前に合流しロープを張り、それを頼りに行き来したとの事であった。(中略)この災害により瓜生田んぼは一面泥沼と化した。時移り現在多目的運動場となり五個荘町繖公園として広く町民に親しまれている。」(334頁)

伊勢湾台風による乾徳寺の被害

「戦後最大級の被害をもたらしたとも言われている伊勢湾台風(台風15号)は昭和34年(1959)9月26日18時過ぎ潮岬西方に上陸した、最低気圧929.5ミリパール風速40メートルを記録し奈良三重県境から本土を横断し各地に膨大なる爪跡を残し日本海へ抜けた。当字にあっても乾徳寺にあっては裏山の乾徳寺谷崩壊し土砂石及び流木が庫裡や裏屋根に達しまた桧の大木が書院に突入したのである。」(335頁)

乾徳寺庫裡を襲った大木

 

<平成25年9月台風18号水害>

〇水害情報発信―水害の記録と記憶―(滋賀県ホームページより)

⇒https://www.pref.shiga.lg.jp/suigaijyouhou/gaiyou/105805.html

【台風概要】

大型の勢力を保った台風18号は愛知県豊橋市付近に上陸したため、滋賀県では記録的な大雨となり16日午前5時5分、全国初の大雨特別警報が発表された。このため県内各地で河川が氾濫して、浸水被害が多数発生した。

被害概要

  • 人的被害 死者:1人 負傷者:9人
  • 住宅被害 全壊:10戸、半壊:279戸、一部損壊:439戸、床上浸水:49棟、 床下浸水:497棟

[特別養護老人ホーム清水苑 周辺の様子] (2013.9.16 am6:16)

清水苑傍の渕ヶ井の川水は溢れ、住宅に浸水しているのが分かる。