宮荘町の秋を彩る~宮荘フェスタ

宮荘町の氏神の五箇神社は、宮荘町の中心に位置する。

有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみや たかひとしんのう)が書かれた「五箇神社」の扁額を高々と掲げ、金色に輝くしめ縄が張られた大鳥居をくぐると、令和元年(2019年)12月24日に滋賀県指定有形文化財に指定された荘厳な本殿に出会う。

五箇神社

五箇神社は、滋賀県神社庁のホームページでは次のように紹介されている。

「創建年月不詳であるが嘉応承安の年号記載の宝器 あり、往古は東西ニ殿この五箇の森に鎮座し五箇荘内総社であって五箇荘の起源と伝えられる。天正年間兵火にかかり旧記什器全て焼失する。文禄年間本殿1宇を再建2社を合祀した。」

嘉応(かおう)は1169年から1171年までの期間、承安(じょうあん)は1171年から1175年までの期間を指すので、およそ850年前の宝器である。

安土桃山時代の文禄年間(1593年~1596年)に再建されたので、本殿は420年以上にわたり宮荘町の人々の暮らしを見守り続けていることになる。

五箇神社では毎年4月15日に近い日曜日に春祭りが行われる。

宵宮には住民総出で清掃をする。

そして、日本最大級の大神輿の御渡が、80人以上の担ぎ手によって勇ましく、盛大に行われる。

ちなみに大神輿は、安政4年(1857年)に造られたもので、長さ8.45m、高さ3.8.m、幅1.8mを誇る、まさに「大神輿」である。

秋祭りは9月15日に近い日曜日に行われ、宵宮には大太鼓による御渡が行われる。

秋祭りの翌月、10月の第2月曜の「体育の日」に「宮荘フェスタ」が開催される。

宮荘町では以前、運動会や文化祭をそれぞれ開催していたが、住民の誰もが参加できるようなイベントにしようと「宮荘フェスタ」(以下、フェスタ)に一体化した。

フェスタは「宮荘まちづくりの会」が主催する。

「宮荘まちづくりの会」は、評議員や町内各種団体の方々39人で構成され、会長は年長者の評議員が務める。

毎年5月に企画委員会が開催され、フェスタ開催まで4~5回の会議を重ね、その年のフェスタの準備が進められる。

資機材や食材の用意には宮荘町の企業からも全面的な協力がある。

フェスタ当日には、五箇神社の境内に模擬店が連なり、バザーも行われる。

厳格で荘厳な神事とは趣が異なる、住民同士の和気あいあいとした交流風景が境内のあちこちに広がる。

五箇神社に隣接する自治会館の広間では、子どもたちがゲームを楽しんだり、老若男女一緒になったリズム音楽を楽しんだりする。

グランドゴルフ大会も行われ、この日に合わせて帰省した人を含め、宮荘町住民約200人が参加する。

今秋はコロナ禍で中止となったが、まさに、宮荘町の秋を彩るフェスティバルである。

 

宮荘町では、自治会が中心となって、町を守り、育む様々な活動が住民主体で展開されている。

「ハリヨの里あれぢ」は埋め立てられた農業用池を、平成元年(1989年)に「郷づくり事業」としてまさに住民総出で絶滅危惧種のハリヨが泳ぐ池を復活させた。

現在は、清水をポンプで吸い上げながら、ハリヨの泳ぐ池を大切に守り続けている。

池にはハリヨが泳いでいる

五箇神社の隣に位置し、阿弥陀如来と大日如来の二尊を安置する「大日堂」は、自治会の管理である。「大日堂をお世話する会」の住民がボランティアで護り続けている。

大日堂

五箇神社の美しい池に泳ぐ錦鯉たちは、自治会長OBがボランティアで世話を続けている。

宮荘町環境保全協議会が自治会と協力して、平成19年(2007年)から宮荘川の両岸に植樹した約1000本の紫陽花は、毎年見事に花を咲かせ、五箇神社とともにJR西日本の観光コースにもなっている。

 

こうした営みを自治会で維持・継続させるにはエネルギーが必要だ。

宮荘町は220世帯を超える世帯数と850人を超える人口を有する自治会である。

新興住宅は20軒ほど増加し、人口も増えているが、従来からの在所の中心地は少子高齢化で減少傾向となっている。

自治会長の北村昌巳さんは、「時代と人がどんどん変わってきているのは事実。この変化に対応していかないといけない」と話す。

変化に対応しながら宮荘町を守り続ける。

宮荘フェスタが映し出す秋の彩りは、宮荘町という「財」(たから)を大切に想い、次代へと引き継いでいこうとする自治会の方々の「想いと願い」が生み出す彩(いろどり)なのである。

 

(聞き手:小杉 勇・西 義一・奥村 昭)

(報告:社会福祉法人六心会 地域支え合い推進員 奥村 昭)