「ねがいを紡ぐリレートーク」(難病応援センター説明会)開催!

2022(令和4)年9月17日(土)に、五個荘コミュニティセンター大ホールにおいて、「ねがいを紡ぐリレートーク(難病応援センター説明会)」(以下、リレートーク)が開催された。

難病応援センターは、NPO法人喜里が、難病になっても「豊かに生きたい」「支え合って、笑い合って生きたい」そんな願いを実現する「場」を目指し、年内に東近江市五個荘小幡町に開設するセンターである。

今回のリレートークは、センター開設に先立ち、NPO法人喜里をはじめ、稀少難病の会おおみ、そして、五個荘地区まちづくり協議会、五個荘地区社会福祉協議会、五個荘地区住民福祉会議、五個荘コミュニティセンターが主催となり開催。

冒頭に、NPO法人喜里理事長の藤井美千代さんから挨拶と法人の説明があった。

藤井さんは、結婚1か月後に「多発性硬化症」を発症した。その苦しみ、焦りと不安、そして「働きたい」と思っても「病気を治してから」と言われ、就労の壁にぶつかった経験を話した。

そして、滋賀難病連絡協議会で働き、「悩み相談」で出会った当事者の青年の「生きていても仕方がない」という言葉に「一人ぼっちの難病者をつくらない」という思いを強くし、難病者の「暮らす」と「働く」を応援するために、平成26(2014)年8月に佐野町(能登川地区)の民家を借りて法人を設立した。

藤井理事長

次いで法人事務局長の井上克己さんが、難病応援センターが目指す「場」について、①役割、②支え合い、③居場所、④働く、⑤家族、⑥出会いの6つのキーワードで説明した。

井上さんは自身も難病当事者である。養護学校で教員をしていたが、「潰瘍性大腸炎」を発症し、病状の悪化に伴って大腸全摘手術を受けた。そして、人工肛門での生活から小腸と肛門を繋ぐ手術をして、現在日常生活を送っている。

井上事務局長

「①役割」では、療養中に「自分はいてもいなくても一緒か」と感じたご自身の経験から、役割をもって生きることの大切さを感じ、「自分の役割を感じられる場」にしたいとする。

「②支え合い」では、当事者目線からすると「支援」という言葉には「支える人」と「支えられる人」がいるので違和感がある言葉であるとする。そのため「支え合いが生まれる場」としたいとする。

「③居場所」では、愚痴や悩みを語れる昭和時代のスナックのような「気兼ねなくふらっと立ち寄れる場 気軽に相談できる場」にしたいとする。

「④働く」では、難病になってからの就職活動は難しく、履歴書に病気のことを書かずに採用されても、通院が必要なので居づらくなることもある。そのため、「自分のペースや体調に合わせて働くことのできる場」づくりをしたいとする。

「⑤家族」では、国が認定している難病は338種類あるが、難病のある人の家族はストレスが大きくなることも多い。そのため、家族が元気になれる、「家族にとっても心の拠り所になる場」にしたいとする。

「⑥出会い」では、難病応援センターを難病者だけのコミュニティではなく、気楽に集まりちょっと難病のことに触れるような「出会いと繋がりのある場」にしたいとする。楽しいことをやると人が集まるので、喫茶スペースを作ったり、歌を歌ったり、気楽にお酒を飲んだり、趣味ができたり、そんな場づくりをしたいとする。

そして、いろんな「応援」が行き交う場、地域になれば、「生きづらくなく生きることができる」と話した。

次いで、トークセッションが開催された。トークセッションは2部構成で、第1部には、当事者の田附さん、家族の白木さん、東近江保健所の小林さん、「働き暮らし応援センターTekito」の野々村さんが登壇された。

トークセッション(第1部)の様子

まず、田附さんは16年~17年前に身体がだるくてしんどく、長い時間働けなくなった。あちこちの病院を受診しても診断名がつかない。いわば指定難病ではない病気で苦しみ続けた。医師から「『死なないから我慢して』といわれたのは辛かった」と話す。

最近、脊椎関節炎かもしれないといわれたが確定的な診断ではない。発症当時、同じような症状で苦しむ人と繋がれたのは唯一インターネット。東京まで出会いに行ったこともあるという。

田附さんの経験と立場から、応援センターは「愚痴を吐ける場所」であったほしいとする。

誰でも病気になる。そして「難病とそうでない病気を切り分けられるものではないし、難病応援センターは地域の大切な財産になれば」と期待を込めた。

家族の立場で登壇した白木さんは、脊髄小脳変性症と網膜色素変性症の息子がいる家族である。2年前に妻をがんで亡くし、現在息子と2人暮らしである。

保健所からNPO法人喜里を紹介されて行き始めた。実は自宅から200メートルほどの距離。保健所から紹介されるまでは知らなかったという。

「難病の家族がいることを発信することも難しいし、応援してくれる場に辿りつくのも難しい」と話す。

現在、息子は、訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴などサービスをフル活用して、延べ40人ほどの方が関わっているという。まさに息子の「応援団」である。

ある時、息子は「不自由で不便なことはあるが不幸ではない」と話したという。

しかし、親子の関りだけではストレスが高まる。関わってくださる専門職、第三者がいるので、息子は親には言えないことも話せる。

白木さんは、「私にとっても応援団です」と話す。

一方、苦い経験もある。

網膜色素変性症の確定診断が出た時、励まそうと思った。すると「お父さんに答えを言ってほしかったのではない。ただ聴いてほしかった」と言われた。

白木さんは「なぜ傾聴できなかったのか」と悔やんだ。

「頑張っている当事者に頑張れとは言えない、言ってはいけない」が「応援」することはできると話す。

難病応援センターには、「前に進むきっかけ」になるような、ハードルのない緩い場を、「ため息をつくより深呼吸できるような場になれば」話す。難病応援センターは、誰かと繋がれる、一息できる「基地」であったほしい、そして難病患者を中心とした繋がりの「輪」が拡がっていけばと期待を込めた。

東近江保健所の保健師の小林さんからは、東近江管内の難病患者は約1900人で、うちパーキンソン病の方が約300人との報告があった。

難病患者の方々には保健所で面接相談を行っているが、「1年で治る」といった病気ではないため、「悩みごとが増えていくのが現状」とする。

そのようななかで、パーキンソン病の方には「パーキンソン病患者・家族会のびのび友の会」という場がある。そして、難病応援センターは「病気のことを『教える』というよりも、患者や家族が『集まれる』場になれば」と話した。

「働き暮らし応援センターTekito」の野々村さんは、「ウチも応援センターなんですけど」と井上さんに投げかけた。すると、井上さんからは「地域には応援がたくさんある方がいい」と返され、お互いに「応援センター」でいこうとなった。

野々村さんは、企業でも、障害者の作業所でも内職でも、その人のいろんな働き方を「応援」している。

NPO法人喜里とは長い関わりがある。

藤井理事長、井上事務局長は、人への接し方が丁寧で、面談ではなく対話をずっと大切にしてきた、それが今の姿とする。そして「まとまりのない素敵なチーム」という。

また、「あえてまとまらなくても良いチームで、でも真面目なチーム」とする。施設や作業所を、規模や設備などのハード面で語ることがあるが、NPO法人喜里は「人で語れる」場であり、「そんな場はなかなかない」と話した。

NPO法人喜里にはいろんな夢がある。「あれもしたい、これもしよう」と頑張ると飛躍してしまい「特別な場」になるので、「頑張りすぎずにいきましょう」とエールを送った。

第2部では、地元の五個荘地区まちづくり協議会の小杉会長、東近江市役所の五個荘地区担当の溝江さん、公益財団法人東近江三方よし基金の西村さんが登壇された。

小杉会長は、福祉と聞くと、高齢者、障害者、児童と思っていたが、難病のことを聞き、そして知って、頭をガツンと打たれたような気がしたという。五個荘コミュニティセンターの隣に開設されるので、五個荘地区まちづくり協議会、コミュニティセンターとしても、五個荘地区社会福祉協議会等と一緒に難病への理解を深めていくような定期的な講演会や学習会、そして楽しい場を作りたいと話した。

溝江さんからは、難病応援センターが五個荘に出来る、来てくださることを知り、率直に嬉しいと思ったと話した。誰でもいつ難病になるのかは分からない。自分の暮らす五個荘で自分や家族が相談できる場ができるのは「ラッキー」と思ったという。

難病応援センターは五個荘コミュニティセンター、五個荘支所の隣に建つ。

五個荘の住民に馴染みの場にできること、五個荘の「まあええやん」という気軽さと「みんなで応援しよう」という温かさに合うのではないかと話した。

西村さんは、コミュニティ財団の東近江三方よし基金で、様々な事業・活動の資金調達と伴走支援をしている。NPO法人喜里の藤井理事長と井上事務局にも3年前から相談に応じてきたという。

現在、県内には難病患者を主な対象としている就労継続支援B型作業所は栗東市と東近江市の2箇所しかない。東近江市の1箇所がNPO法人喜里の運営する「ワークスペース喜里」だ。

NPO法人喜里は、「一人ひとりを応援したい」と立ち上げたが、現在の作業所では、物理的、環境的な制約もあり利用を断らざるを得ない状況も生まれてきた。

そこで新しい場所を創ろうと「覚悟」を決めた2人に対して、その構想を実現すべくまさに伴走支援をしてこられた。そして、「休眠預金等活動事業」に採択をされ、この構想の実現に向けて一歩前進した。

西村さんは、「作業所の建設では反対運動がおこることが多い。難病に対する偏見もあるなかで、五個荘は反対どころか、歓迎し、温かく受け入れてくれている」と、伴走支援者としての感謝の気持ちを話された。

井上さんは、「わ音」や「がもう組」で音楽活動もしているアーティスト。

最後に西村さんは、井上さんに「余り無理をさせず歌を歌わせよう!」と話し、会場からは拍手が起こった。

トークセッション終了後、アトラクションとして井上さんがメンバーである「がもう組」のミニコンサートが開催された。

「がもう組」による演奏

会場は温かい歌声に包まれた。

最後にこの日のサプライズイベント。

閉会の挨拶をした五個荘地区社会福祉協議会の深尾会長から、来場者全員に南瓜をお持ち帰りいただくという発表があった。

この南瓜は五個荘地区社会福祉協議会の役員が作っている南瓜で、出荷しない南瓜をこの日のために約100個提供してくださったもの。そして、みなさんの「志」を募金箱に入れて頂こうという趣向である。

帰りに南瓜を受け取った参加者は、それぞれの「志」を募金箱に入れた。

この日、五個荘コミュニティセンターに集った方々は約80人。

約80人の温かい気持ちに包まれた、「願いを紡ぐ」ひと時であった。

なお、NPO法人喜里では、クラウドファンディング(CAMPFIRE)で10月20日まで募金を呼び掛けている。コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻等により資材や物品が値上がりしたためだ。目標金額は1,000,000円。9月20日現在、103人の支援者が931,000円の支援をしている。(https://camp-fire.jp/projects/view/591588)

また、認定NPO法人まちづくりネット東近江の「2022年度事業指定寄付制度にじまちサポーターズ採択事業」として。一口1,000円からの寄付を受け付けている。(https://e-ohminet.com/news/3869/)

(報告:社会福祉法人六心会 地域支援担当 奥村 昭(地域支え合い推進員))