子どもたちの健やかな成長を願い供養する~五個荘五位田町・北向き地蔵と地蔵盆

五個荘五位田町(以下、五位田町)の「五位田」という名称は、『五個荘町史』(第四巻史料Ⅱ)によると古代田制の位田(五位以上の官人貴族に給された禄田の称)に因むとされ、明治12年(1879年)に宮荘村と合併して、その一部になった。しかし、元来、小幡郷(五個荘小幡町)に属する村であったことから、五位田という名称は「小幡位田」の遺称である可能性が高いとされている。

「位田」は7世紀後半の律令制に始まり、9世紀以降、私有化されて荘園の源流の一つとなったといわれており、五位田の地の歴史の深さを窺い知ることができる。

五位田町では、毎月1日と16日または22日の月2回、「親地蔵」と「北向き地蔵」にお参りをする。

お参りは、旧の在所の住民が持ち回りで行っている。以前は順番を炭で書いた木製の回覧板で、お参りをする順番を回していたという。

白山神社には毎月1日にお神酒を供え、「北向き地蔵」には、月2回のお参りの際にお茶とお福さん(御飯)を供える。

白山神社

「親地蔵」は、かつて、五位田町の集会所に祀られていた五位田町の守護神であった。

200年ほど前に、西照寺が五位田の財閥の方によって、今の地に移ったことにより集会所から西照寺に「親地蔵」が移されたという。

西照寺

なお、「親地蔵」は「千体地蔵」といわれている。

「北向き地蔵」は、五位田町に隣接する宮荘町の「菓道 冨来郁(ふくいく)」の店舗の隣の地蔵堂に祀られている二体のお地蔵様である。

お地蔵様が北向きにいらっしゃるので、「北向き地蔵」と呼ばれている。地蔵堂があるのは宮荘町になるが、五位田町のお地蔵様である。

「北向き地蔵」は、五位田町で亡くなった人の棺を五位田の火葬場に見送る、「見送り」地蔵であったという。

北向き地蔵尊が祀られている地蔵堂

そして、お盆(盂蘭盆会)にご先祖様や故人の霊魂を浄土から迎え、供養して送り出した後、地蔵盆を迎える。

地蔵盆は、子どもたちの健やかな成長を願って、お地蔵様を供養する行事である。

お地蔵様のことを地蔵菩薩ともいうが、地蔵盆とは、地蔵菩薩の「縁日」(ある神仏の降誕・示現など、特別の縁があるとして祭典・供養を行う日)に、お祭りや供養を営んできたものである。

以前、五位田町では、地蔵盆を8月15日に「北向き地蔵」で、8月23日に「親地蔵」で行っていた。子ども達にとっては、お菓子がもらえる楽しみのイベントの一つでもある。

地蔵盆のイベントで、子ども達は、「北向き地蔵」まで「肝試し」をしていたが、男の子が女の子をわざと脅かすので、しばしば喧嘩となった。

「そんなに喧嘩をするなら、男の子と女の子のお地蔵様を分ける」と、「北向き地蔵」は主に女の子のお地蔵様となった。男の子のお地蔵さまは、西照寺に祀られている子安地蔵と梅本地蔵の二体のお地蔵様となった。

そんなことがあり、男の子と女の子のお地蔵さまは別々になったのだが、現在では、地蔵盆は五位田町公会堂で、8月23日に一緒に催している。

本来、お地蔵様は動かさない。

しかし、地蔵盆の日は特別である。「北向き地蔵」を五位田町公会堂に子どもたちが運んでくるのである。自治会長の辻要さんは「私が子どもの頃は、一輪車で『北向き地蔵』を運んできていました」と話す。

そして、お地蔵様に前掛けをし、そのお地蔵様を真ん中にして、喧嘩をしないように、男の子と女の子の部屋を分けたのである。

しかし、徐々に子どもの数も減ってきた。

「子どもが少なくなってきて、もう地蔵盆はできんなあと思っていたら、新しい団地ができで子どもが増えました」と山中次男さんは話す。

山中さんは、五位田町の伝統文化や歴史を、自治会長に伝える役割を担っている方である。

五位田町では、26年ほど前から宅地開発がすすみ、新しい家が次々と建っていった。

もともと五位田町は3組しかなかった。しかし、今では11組に増えた。2組を2つにわけるほどである。

そして、ここ3~4年で新興住宅からも自治会長が選ばれるようになった。

辻さんは「新興住宅の方々は新しいことを考えてくださるし、自治会長を包み込むように、皆さんが動いてくださいます」と話す。

子どもの人数も増えた。今は40人ほどであるが、一時期は50人ほどに増えた。

20年ほど前からは、地蔵盆は8月23日に「親地蔵」と「北向き地蔵」のそれぞれの地蔵盆を一つにして催すようにした。

子どもの数が増えて、公会堂に子どもが入り切れなくなったので、地蔵盆は公会堂の中ではなく、公会堂前の広場で開催することになった。広場に組んだ館に、前掛けをした「北向き地蔵」が鎮座する。

地蔵盆の前に催される、五位田の夏のもう一つの風物詩が、「納涼祭」である。

公会堂前の広場に、かき氷やたこ焼き、唐揚げ、ビール、ジュース、ヨーヨー釣りと出店が並ぶ。演芸にカラオケ、抽選会やビンゴゲームと五位田町のみんなで納涼祭を楽しむ。

子ども達が学校の体育祭で江州音頭を踊るので、最近では、練習を兼ねて江州音頭もやるようになったという。

五位田町公会堂

公会堂前の広場

しかし、コロナ禍で納涼祭は中止に。

山中さんは、「五位田がまとまってきたのにコロナ禍で何もできん。みんな五位田を忘れてしまうのではないか」と危惧する。

子ども会もコロナ禍で集まることができなかった。

山中さんは地蔵盆をやるかやらないか悩んでいたという。すると、自治会長をはじめ周囲の方々が「山中さん、やりいな」と言ってくださった。山中さんは、「北向き地蔵」を自分で運び、地蔵盆の形を整えた。

五位田公会堂に子どもたちが顔を見せた。

山中さんによると、高学年の子どもは「北向き地蔵」の前を通ると手を合わせるという。その姿を低学年の子どもも見て真似て手を合わせるという。

五位田町のお地蔵様は、コロナ禍でも、コロナ禍だからこそ微笑んで、五位田町の人たち、子ども達を守護してくださっている。

お地蔵様と一緒に、コロナ禍が収束した地蔵盆を過ごせることを願ってやまない。

(聞き手:西 義一・木村 光男・奥村 昭 )

(報告:社会福祉法人六心会 地域支援担当 地域支え合い推進員 奥村 昭)