五個荘北町屋町は、約300世帯・人口約800人で、高齢化率21%の自治会である。
中山道の街道に軒を連ね、古から人々が往来する街道筋の町であった北町屋町。明治11年(1878年)に明治天皇が北陸東海巡幸の際に、「市田太郎兵衛邸」で休憩されたことは有名である。
古(いにしえ)の中仙道には松並木があり、街道の景観を形成していた。しかし、今では中山道には松並木があったことを思わせる松の木が残っているだけであり、その面影はない。
北町屋区(当時)では、中山道らしい景観を作り出せないだろうかと考え、五個荘町時代の平成13年(2001年)度に県と町との補助による「自治活動活性化事業」を活用して、「四季に咲く花を奏でる北町屋の里」事業に取り組むことにした。
この事業は、「人と車が共存する中山道の新しい景観づくり」のために、北町屋町の町角3か所に四季の花を植栽し、木製プランターを50個制作して、四季の花を植栽し、公共の場所の花壇2か所に花を植栽しようとするもの。さらに、各家の窓口に四季の花を飾り、小川に菖蒲等の植栽をし、河川の清掃も行うまさに四季の花を活用した住民参加のまちづくり事業である。
この事業に最初に参加したのは約20人。自治会とは別の任意団体「四季に咲く花を奏でる北町屋の里」(以下、「北町屋の里」)として活動を開始し、これを自治会がバックアップする形をとった。
植栽は年2回行うため、花の苗は1000株では足らない。また、土も肥料も必要だ。
木製プランターの台は、町内の材木屋さんに材料を提供してもらい、子どもたちがペンキを塗った。また、町の左官屋さんに頼んで、インターロッキング(コンクリートをお互いがかみ合うような形にし、レンガ調に組合せた舗装方法)で美しいデザインとした。
「自治活動活性化事業」は2年間の時限事業であったが、事業終了後も自治会がバックアップ。五個荘町が合併して東近江市となった後も、自治会の予算に加え、市の「緑の街づくり事業補助金」を活用して取り組み続けた。
その成果が認められ、「北町屋の里」は、合併した年の平成17年(2005年)5月22日に東近江市市長から「花と緑の推進表彰」を受賞した。
また、活動10年目を迎えた平成23年(2011年)1月4日の中日新聞では「花添える活動10年」として大きな記事で報じられた。
活動は強制しない。入退会は自由である。
現在のメンバーは37名。女性が27名、男性が10名である。女性の方が多く、メンバーの年齢層も55歳から81歳までと幅広い。
「北町屋の里」では、中山道を7ブロック分けて花を管理する。
1ブロックの人数もまちまちであり、管理も各ブロックに任せている。ブロック内で水遣り当番は決めていない。ある人が水遣りをしていて、その人から別に人にバケツとじょうろを渡すのが当番の交替であり、引き継ぎとなる。
最も大変なのは植え替えだ。5月下旬と12月上旬に行う。
プランターを引き上げて、土を出し、虫をとって土を入れ替える。これには人手がかかる。自治会の評議員も手伝って30人くらいで入れ替えをする。虫にも抗体ができるようだ。虫は大敵である。加えて、昨今の猛暑は厄介だ。
町を美しく花で彩るには手間暇がかかし、エネルギーもいる。
メンバーのモチベーションを高め、団結力をたかめるのに一役買っているが年に1回の研修旅行である。
「なぼなの里」や「比叡山ミュージアム」、「京都植物園」、岐阜県可児市の「バラ園」など花に関係する場所に研修を兼ねて研修旅行をしている。
そして、12月の植え替え時には、会員全家庭の正月用の寄せ植えを行う。
会員が丹精込めて育てた花はイベントにも人気だ。「てんびんの里ふれあいウォーク」の開会式では、文字通り「花を飾る」のである。
思いも寄らぬ声をもらった。
それは、町内を巡回している警察官の方から「中山道をきれいにしてもらっているので、犯罪抑止にもなっています」と感謝の言葉があったこと。
たしかに、「社会関係資本」(ソーシャルキャピタル)という考え方では、住民参加でまちづくりを実践している地域では、住民同士の信頼関係とつながりが強く、「社会関係資本」が豊かであるために犯罪抑制効果が高いという。
北町屋町では、コロナ禍でも花をつくり続けている。コロナ禍だからこそ町に花が必要だ。
今年計画した、植え替えの時期に子ども1人に1株を渡し、一緒に植えるという企画は断念せざるを得なかった。しかし、必要な資材はすでに整えている。
来年は、「北町屋の里」のメンバーと子どもたちが植えた花が中山道を彩るだろう。
(聞き手:川嶋 重剛・奥村 昭)
(報告:社会福祉法人六心会 地域支援担当 地域支え合い推進員 奥村 昭)
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