8月の第一土曜日は、五個荘川並町の「きぬがさ会館」が1年中で一番賑わう。
「川並町納涼フェスティバル」(以下、納涼フェス)の開催日である。
納涼フェスは、町内の各種団体の代表者が参画する「住みよい川並づくり推進会議」が主催して、平成元年は納涼祭として、平成2年からは「川並町納涼フェスティバル」として開催しているイベントである。
【住みよい川並づくり推進会議構成団体】(合計22名)
[顧 問] 自治会長・福祉推進委員会会長
[会 長] 副自治会長
[副会長] 評議員(町づくり推進委員)(2名)
[監 事] 評議員(町づくり推進委員)
[理 事] 評議員(町づくり推進委員)(3名)・寿会・農事改良組合・特設消防隊・民生委員児童委員・五個荘One´s(スポーツ少年指導者)・子ども会指導者・中学校PTA・小学校PTA・幼児園保護者会・健康推進員・文化体育推進会・福祉推進員
[事務局] きぬがさ会館事務所
きぬがさ会館の大広間の縁側の前の特設ステージで会長が開会の挨拶をし、18時にスタート。
特設ステージでは、幼児園の子どもたちが歌を歌ったり、ギター演奏、マジックとバルーンアートが行われたりして賑やかに進行する。
会館隣の農組事務所と倉庫の前にずらりと「お楽しみ食べ歩き屋台店」が並ぶ。
昨年の屋台店は、フランクフルト、焼き鳥、焼きそば、みたらし団子、かき氷、飲み物。
特別養護老人ホーム清水苑と養護老人ホームきぬがさも5年前から町内の一員として、模擬店を出店している。ちなみに清水苑はカレーを、きぬがさは「タコせん」を出店。
会館向かいの「わんぱくゲーム広場」では、釣りゲームや輪投げ、射的が並び、子どもたちが楽しむ。
模擬店の準備は大忙しである。
食材は、担当になった評議員の方々がスーパーのチラシを見比べ、少しでも安い食材を調達しようと懸命である。
衛生面には細心の注意を払う。農組事務所内の「共同炊事場」で切り分けた食材は、町内の食品会社の冷蔵庫をお借りして保存する。模擬店に出すジュースも冷やす。
ちなみに「共同炊事場」は昭和30年代の前半に設置されたものである。
農繁期に夕食の準備は大変負担になる。そこで、町内会の「婦人部」の方々が交代でおかずをつくるという晩御飯づくりの助け合い活動のために設置されたもので、昭和40年代の半ばまで活躍した。
共同炊事場で調理されたおかずは、世帯ごとに容器に入れられ、食べた後は洗って返しに行く。農業が機械化されてからは、共同炊事場の必要性もなくなりその役目を終えた。そして、今は、納涼フェスの「共同炊事場」として活躍しているのである。
納涼フェスは1人500円の寄付金と自治会の助成金、企業の寄付金、そして模擬店の売り上げを財源として運営されている。
500円の寄付をいただいた人に抽選券付きのプログラムが渡される。
そして、最後は抽選会。一等の自転車が当った人は大喜び。二等、三等の扇風機が当たった人はこれまた大喜び。抽選に外れた人も参加賞の洗剤がいただける。
納涼フェスはこの形になったのは平成に入ってから。
以前は、青年会主催で結神社や川並町草の根広場にやぐらを組んで盆踊りをしていた。昭和30年代には、福應寺の前にスクリーンを出して映画会が開かれていた。旧南小学校の講堂でも映画会が開かれていたという。
「夏の唯一のレクレーションでした」と自治会長の川島元信さんは話す。
川島さんによると、アサヒ屋さんの「ボンボンキャンディ」も夏の思い出であったという。
自転車の荷台の木箱にボンボンキャンディを入れて、町内を売りに回る。川遊びをしていると自転車が通りかかるので、川遊びはしばし休憩。アイスキャンディを買って楽しむ。
「夏の町内は賑やかでした」と副自治会長の吉川正之さんも懐かしむ。
夏に帰省した家族を含め約200人が集う納涼フェスが終わると「藪入り」である。
かつて、川並出身の近江商人が全国各地から帰省していた8月14日または15日に地蔵盆を催すのが長年の習わしである。
今夏、納涼フェスはコロナ禍で中止となった。
川島さんは「参加して楽しんでくれる方がいる限り続けたい」と話す。
人の暮らしが変わり、町の姿も変わり、映画会、盆踊りから納涼フェスティバルと夏の風景も変わっていく。
しかし、変わらないものがある。それは、夏に町内みんなで集うこと。そして、その営みを続けていること。続けようとする人たちがいること。
来夏の川並の風景に出会うのが待ち遠しい。
(聞き手:大橋 保治・西村 貞之・川嶋 重剛・奥村 昭)
(報告:社会福祉法人六心会 地域支援担当 地域支え合い推進員 奥村 昭)
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