気軽に寄って、語り合って、元気になる場所 ~もうひとつのパワースポット・五個荘石馬寺町自治会館

五個荘石馬寺町は聖徳太子が建立した石馬寺のある自治会である。

石馬寺のホームページの「石馬寺の縁起」では、以下の説明がある。

「今からおよそ1400年前の推古2年(西暦594年)。推古天皇の摂政であった聖徳太子が「霊地は近江国にある」と占い、駒の蹄に任せて永久に鎮護国家、仏法興隆を祈る道場を求めていました。そして繖山(きぬがさやま)の麓辺りに来ると、駒は歩みを止めて進まなくなり、傍らの松の樹につないで山に登ったところ、瑞雲がたなびく風光明媚な風景が広がっていたのです。

聖徳太子は「積年の望みをこの地に得たり」と深く感動して再び山を下ると、松の樹につないだ駒が傍の池に沈んで石と化していました。

この奇瑞に大いに霊気を感じ、直ちに山を『御都繖山(ぎょとさんざん)』と名付け寺を建立し、馬が石となった寺、つまり『石馬寺(いしばじ)』と号されたのです。」

石馬寺

更にホームページによると、永禄11年(1568年)に織田信長の上洛に抵抗した佐々木承禎との戦いによる戦禍を受けたり、豊臣氏に寺領や山林を没収されて山主や僧徒は退散を命じられたりしたものの慶長8年(1603年)に徳川氏により『石馬寺』が復興されたという。

現在は、正保元年(1644年)11月に宮城県松島にある瑞巌寺の雲居国師を中興祖として招き、臨済宗妙心寺派の寺院として現在に至る「1400年の歴史を持つパワースポット」である。

石馬寺参道を下り、町内を真っすぐしばらく歩くと新興住宅地が広がる。新興住宅地の入り口で石馬寺町自治会館と出会う。石馬寺町の「臍」ともいえる場所だ。

石馬寺町自治会館は賑やかである。

五個荘石馬寺町自治会館

毎月第2、第4水曜日の午後には「おしゃべり・笑(しょう)・唱(しょう)・タイム」のメンバーが集う。

毎週土曜日には編み物サークル「すみれ」のメンバーが集う。

毎月各週の火曜日と金曜日の朝には「ヨガサークル」のメンバーが集う。

「おしゃべり・笑(しょう)・唱(しょう)・タイム」は、昨年11月から開始。

老人会会員が寄っておしゃべりをしたり、カラオケで歌ったり、自由に楽しくひと時を過ごす。

今回の取材に紙面で参加してくださった日下山さんは、「思い思いの話に花を咲かせて、大きな声で笑って、笑顔がいいですね。若い頃のお話が皆さんとても楽しそう」と記す。

編み物サークル「すみれ」は今から11年ほど前(2009年頃)、石馬寺町の文化祭が終わった後から始まる。

毎週土曜日に、おしゃべり好きな仲間が5~6人集い、編み物、手芸を楽しむ。編み物はベスト、セーター、小物などを編む。

日下山さんと同じく、取材に紙面で参加してくださった安田さんによると、「すみれ」が出来たきっかけは自治会主催の文化祭の展示作品に、編み物の先生の作品が展示されていたこと。

先生の声掛けで開かれた、毛糸一玉でできるミニマフラーを編む講習に参加した仲間が「すみれ」を結成。

最初は、先生が準備したサンプルを見て、全員で同じ作品を先生の指導を受けて編んでいた。

しかし、最近では編み方をマスターし、それぞれ自分の好きなものを編む。7年前の自治会の行事で作品が展示される機会があり、メンバーみんなで頑張って編んだそうだ。

編み物だけではなく、お花見の時期の食事会や新年会も楽しみの一つという。

ちなみに石馬寺町の桜は見事。毎年、花見に多くの見物客が訪れる。

そんな「おしゃべり・笑(しょう)・唱(しょう)・タイム」や「すみれ」もコロナ禍で休止している。

日下山さんは「再開できたら老人会の枠を外して、誰でもふらっと集まって自由にその時やりたいことをやりたい人と一緒に楽しんでいただける場になると嬉しい」と記す。そして「DVDで楽しむのもいいかなと思い、とりあえず世界遺産のDVDは用意しています」と再開の時期を待つ。

安田さんも「コロナ禍でなかなか集まることができませんでしたが、ボチボチと再開し、長く続けていきたいです」と記す。

能登川コミュニティセンターで開催されたリズム教室に参加した宮田さんが、一緒に参加した石馬寺町の仲間に声をかけて結成したのが「ヨガサークル」。

運動するにも一人ではなかなか続かない。仲間がいれば一緒に続けられる。そんな想いで2015年からスタート。

この「ヨガサークル」も、緊急事態宣言期間中の3か月間は自粛。

自粛期間中、宮田さんは「身体がなまる気がしてもの足りなかった」と話す。

宣言解除後、自治会館の入り口と裏出口を開放し、窓も開けて、マスク着用で再開した。

 

現在のメンバーは5人。平均年齢は65歳である。

開催するのは、毎月各週の火曜日と金曜日。DVDのヨガを見ながら約50分ヨガをする。

時間は8:00~8:50と決まっている。なぜこの曜日と時間帯なのか。

それはゴミ出しの日だからである。

ダストピットにゴミを出して、そのまま自治会館へ。「ゴミ出しの日ならヨガの日は忘れませんから」と宮田さんは話す。しかも、この時間帯は病院の予約などの用事が済ませてから寄れる時間帯。生活の知恵である。

一番のエピソードは何といってもコロナ禍。5名のメンバーのうち1名が念のためにと欠席している。

自治会館の使用料は年間3,000円。1回あたり60円ほどの計算になる。

最初は、自治会館の鍵をその都度、自治会長に借りにいっていたという。

しかし、今では、自治会長がサークル用に鍵を用意し、1年間預ける。

自治会長の中村修さんは、「みんなを信用しているからです」と話す。

自治会館ができてから40年余りたつが、開館後の自治会総会で「自治会館で麻雀をしてよいか」と尋ねられたという。そして、麻雀好きの仲間が集う、カラオケ好きも集う。開館当初から自治会館は開放されていたという。

こうして、石馬寺町自治会館は垣根のない開かれたまさに「公共」の場となっていった。

石馬寺町には五個荘町時代の40年ほど前に新興住宅地ができた。戸数は約80戸。大きな住宅地である。この規模であると新しい自治会ができそうだ。しかし、当時の五個荘町はそうしなかった。約60戸の石馬寺町と同じ自治会としたのだ。

これが功を奏した。

従前からある石馬寺町と新興住宅地が「石馬寺町」としてうまく融合しているのである。

宮田さんは、長野県から石馬寺町の新興住宅地に転入してきた。

「石馬寺はみんないい人たちばかり。どこのグループの方も嫌な思いをする人はいないから」と話す。

その融合のシンボルが開かれた自治会館なのであろう。

コロナ禍で麻雀やカラオケに今は使われていない。

しかし、いつでも自治会館は石馬寺町の人たちに開かれている。

いつでも再開し再会できるように。

石馬寺町自治会館は、石馬寺町のもう一つのパワースポットである。

(聞き手:西村 貞之・川嶋 重剛・奥村 昭)

(報告:社会福祉法人六心会法人本部 地域支援担当 地域支え合い推進員 奥村 昭)

 

石馬寺ホームページ:http://ishibaji.jp/