「地域の輪」が水害から護る ~五個荘奥町「奥村堤」の会

五個荘奥町は愛知川中流部左岸側にある約100戸・340人の自治会である。

五個荘地区まちづくり協議会の「五個荘わが町一番」には、享保2年(1717年)11月に建部下之郷7ヶ村郷社・苗村神社改築上棟祝いとして奉納された「大高張提灯」が紹介されている。

大提灯

高さ3.5m、直径2.1mという移動用では日本一大きい提灯を引き継ぐ奥町。

奥町の歴史は、愛知川からの恵みと災いとともに刻まれてきた。

記録に残っている愛知川堤防決壊は、明治39年8月に発生したものが一番古い。

以降、大正5年6月、昭和13年8月、昭和28年に決壊。

決壊はこれ以降起こっていないが、近年では平成23年に堤防の表法面の土が削り取られる先掘(せんくつ)が起こっている。

しかし、決壊の経験のない世代が増えて堤防への意識も薄まり、平成20年ころには堤防が樹木に覆われる状態に。

そのようななか、平成21年3月に滋賀県が実施していた根固ブロックの設置工事が完了する。この工事は愛知川の洗堀を防ぐために実施されたものだ。

根固ブロックの設置を機に、堤防に対する意識を高めようと除草作業をはじめ、河川敷に試験的に芝生の種をまいたり、藤蔓や竹の伐採を行ったりして堤防整備活動を開始する。

そして、堤防整備活動を継続させるためには組織が必要と考え、平成21年11月3日に自治会の評議員会で「(仮)愛知川護岸整備の会設立準備委員会」を発足させることが決定。

堤防の草刈りは自治会で年1回は実施している。

自治会のなかで専門的に整備・活動すべく、奥町自治会とは別の組織にすることになった。

11月23日には第1回設立準備会が開催され、以降、組織体制と規約、役員構成の検討が重ねられ、翌年の平成22年3月7日の自治会総会で設立が承認される。

早速、全戸に設立の趣意書を配布するとともに、会の名称募集を開始する。

承認から2週間後の3月22日に開催された第5回設立準備委員会において、名称募集31点の中から決定した会の名称は「奥村堤」の会。

なぜ、「奥村堤」の会に決まったのか。

沖 庄治郎さん

会長の沖 庄治郎さんは「戦国大名の武田信玄が釜無川の氾濫を収めるために築いた『信玄堤』に倣ったのです」と話す。

信玄堤は、川の流れの撥ねをつくり、流れを逃し、村を水害から守る。

そんな信玄堤のような会にしたいという願いが会の名前に込められたのである。

では、なぜ「奥町」ではなく「奥村」なのか。

以前から、奥は「奥村」と称され親しまれてきた。

そして、奥村神社の存在である。

奥町に古くからある奥村神社は「須佐之男命」(スサノオノミコト)を御祭神とする神社である。滋賀県神社庁のホームページによると、神社が創立された年代はよく分かっていないが、古くは祇園神社と称していたという。

平清盛の嫡男である重盛が近畿巡行の際に、「御供田」(御供料を収穫するための田)を付けて社領を寄進して栄えたという。その後戦火をうけたが、佐々木氏の代になり特にその崇敬が篤く、領内安全の祈願をされた。享保11年(1726年)に不慮の火災に遭い社殿や重宝を失うものの、周囲の村々で神社を崇敬していた人たちによって社殿が復興され、祭祀が継承されたという。

冒頭の「大提灯」は苗村神社の祭礼の渡御に使われる。毎年4月の第2土曜日(年によっては第1土曜日)には午後7時から若衆8名に担がれ、鉦・太鼓の囃しとともに出発し、2キロ程離れた苗村神社まで渡御をするのである。

そんな奥町の人たちの「奥村」への敬愛の気持ちから「奥村堤」としたのである。

そして、平成22年4月29日に「奥村堤」の会の設立総会が開催される。

初代会長は北川冨蔵さん。設立総会には市議会議員、県会議員、元五個荘町長の小串さんもお祝いに駆け付けた。

特別顧問には衆参国会議員、県会議員、市会議員も名を連ねる。

こうして、本格的に活動を開始した「奥村堤」の会。

会の活動は「堤防を守る部会」「緑を育てる部会」「広報部会」の3つの部会に分かれて取り組んでいる。

「堤防を守る部会」は、除草作業、堤防清掃作業を年5回(5・7・9・10・2月)、2月には蔓の撲滅活動も行う。自警消防団の団長と副団長が部会の部長と副部長になる。

堤防を守る部会の活動の様子

「緑を育てる部会」は芝の種まき、除草、芝刈りと芝の管理を行う。

緑を育てる部会の活動の様子

「広報部会」は「『奥村堤』の会広報」を年3回発行する。

広報誌(年3回発行)

また、広報部会が把握した情報をもとに会員の研修が実施される。

奥町全体で子どもも女性も一緒になって土嚢積みの訓練も行う。

土嚢積み訓練の様子

沖会長は「堤防の異変に気付くためにも、普段から堤防の『見える化』が大切なのです」と話す。

周辺の自治会から、「奥村堤」の会が堤防を守ってくれているので安心できるという声も届くようになった。

こうした「奥村堤」の会の活動は、その実績が高く評価され、平成24年1月28日に開催された「第5回淡海の川づくりフォーラム」で準グランプリを獲得する。このフォーラムは、川や水辺に関わる活動者が集う公開選考方式のワークショップである。

さらに、平成27年7月24日には知事から感謝状を贈呈される。

現在、会員は61名。年齢層は40歳代から80歳代に及び、男性は47名、女性は14名である。奥町の人口は約340人。住民の約2割が会員である。

しかし、課題もある。沖会長によると61名の会員のうち、活動に参加するのは1回あたり20人~30人であるという。9月に行われた活動の参加者は25名であった。

活動の主な担い手は50歳以上の会員となり若年層や女性の参画は不可欠となっている。

設立から10周年を迎える「奥村堤」の会。

沖会長は、「さらに活動のレベルアップを図りたい」と話す。

これからも「奥村堤」の会という地域の「輪」が愛知川と奥町を守り続ける。

(聞き手:北川 友一・奥村 昭)

(報告:社会福祉法人六心会 地域支援担当 地域支え合い推進員 奥村 昭)