竜田を語る会~愚直に学び・語り・伝える

「箕作城の戦い」

これは令和2年9月19日(土)に開催された「コミセン歴史公開講座」で行われた講演のテーマである。

五個荘コミュニティセンター(コミセン)で開催されるコミセン歴史講座は42回を数える。2か月に1回、年6回開催される講座である。

「竜田を語る会」によると、「箕作(みつくり)城の戦い」とは、永禄十年(1568年)9月12日に近江守護の六角義賢・義治父子と足利義昭を奉じて上洛を目指す織田信長との間でに「観音寺城の戦い」と総称される戦が起こった。

その主戦場であったのが「箕作城の戦い」である。

箕作城を三千人が守っており、木下秀吉(のちの豊臣秀吉)軍2300人、丹羽長秀軍3000人、滝川恒興軍3000人に攻撃されるも、これを撃破。戦死者は六角軍200人に対し織田軍は信長合戦史上最多の1,500人の犠牲者を出した。地の利を生かした地元の農兵は奮闘したが、信長軍の夜襲により敗れた。

ちなみに箕作山の名称の由来は、山の形が箕の形に似ていることによるという。

この講座を企画・運営するのは「竜田を語る会」

「竜田を語る会」が誕生したきっかけを、会長の高野勝次さんと事務局長の市田正尚さんに伺った。

高野さんが五個荘竜田町の自治会長であった平成21年5月の自治会定期総会にて、郷土史の編纂が自治会の事業として承認された。そして、この年の9月に公募した編集委員の任命が自治会の評議員会にて行われ、翌月の10月から編纂事業が始動する。

この時に、市田さんも委員に任命され、編纂事業に携わることになる。

市田さんは編纂に携わることとなったときの想いを次のように語る。

「私は昭和19年生まれで戦争を体験した世代です。戦前や戦中の出来事を抜きにして、戦後の歴史を語り、伝えることはできない。戦争を体験した世代として郷土史の編纂に関わる必要があると感じたのです。」

そして、平成25年3月、編纂事業開始から4年をかけて『ふるさと竜田』が発刊される。

『ふるさと竜田』(竜田を語る会ホームページより)

「『ふるさと竜田』に載せきれない歴史がいっぱいある」と市田さんは語る。

『ふるさと竜田』の刊行を起点に、郷土の歴史を伝承し、貴重な史料の保存と、さらなる郷土史の調査と学習をすすめるため、平成25年4月に有志で「竜田を語る会」を結成。

早速、翌月5月には第1回の定例学習会を開催する。学習会は毎月第3日曜日に定例化され、テーマを設定して会員同士で学習し、その成果をコミセン歴史講座で披露する。

なぜコミセン歴史講座なのか。

高野さんによると、当時のコミセン館長が「竜田を語る会」の活動を知り、館長から「コミセン共催の歴史講座にしないか」と声がかかり「コミセン講座」になったという。

コミセン講座の様子(竜田を語る会ホームページより)

第38回五個荘コミセン歴史公開講座(「中山道と愛知川宿」令和2年11月21日開催)の様子

では、学習会のテーマ=コミセン講座のテーマはどうやって決めるのか。

高野さんは「会の役員で決めたり、会員からのリクエストで決めたりします」と話す。

ある会員は城が好きなので、城をテーマにしてほしいとリクエストしたそうだ。しかし、五個荘に城はない。そこでエリアをぐっと広げ「東近江市内のしろあと」(第35回)と題した講座を開催した。

この講座のチラシには次の説明がある。

「大和朝廷では「城」を「キ」と読み「柵」の字を用いていました。「柵」は朝廷の行政施設を併設する防御施設を意味していました。東近江の城跡の歴史は古く、とくに小倉城は、平安時代の承暦年間(1077〜80年)に、小倉景実によって愛知郡小椋庄に築城され、清和源氏満季流の小倉氏が500年にわたり、愛知・神崎・蒲生三郡の東部を治めていました。東近江市の「城」から東近江市の歴史を見直してみましょう!」

「特に計画的・系統的にテーマ設定しているわけではありません」と高野さんは話す。

市田さんは「一つのテーマは次のテーマを生みます。謎を解くと新たな謎が見つかる。それを追っていくと終わりはないのです」と話す。長年レントゲン技師として県内各地の病院に勤務していた市田さん。

高野さんは「市田さんは理系の思考回路なので、どんどんつながっていくようです」と話す。

では、なぜ続けられるのか。市田さんに聞いてみた。

返ってきた答えは一言。

「愚直だからです。」

 

学習会とコミセン講座だけではない。

「竜田を語る会」は、平成26年7月から機関紙「かわら版」を年4回発行している。「かわら版」では地名紹介、神社紹介、発掘記事など学習会とコミセン講座に連なる興味深い記事が掲載される。

さらに「五箇荘の歴史」と「五箇荘言葉」が学習会の都度、会員に配布されている。

「五箇荘言葉」は五十音順に「発音」「言葉」「解説」の順に記載されていて辞書のようであり、ひと昔前の五個荘の人たちの暮らしのなかの会話が聞こえてきそうである。

例えば、こんな感じである。

サイダス…さようですの転訛

シュム…浸むの訛・《例 身にシュム》

シヤワセ…幸せ

「竜田を語る会」では、歴史と文化の「見える化」にも取り組む。

中山道の石塚一里塚跡の碑の建立や松居遊見碑の案内板を設置したり、河川名の銘板を設置したりしている。今年度は五個荘山本町自治会と貴船神社、五個荘伊野部自治会と建部神社に承認を得て、冒頭の「箕作城の戦い」の案内板を設置する予定である。

建立された中山道の石塚一里塚跡の碑(竜田を語る会ホームページより)

現在、「竜田を語る会」の会員数は62名。

五個荘竜田町をはじめ五個荘地区内14自治会に会員が存在する。市内では八日市地区や能登川地区、市外では近江八幡市や愛荘町の会員もいる。

市田さんは「文化に対して思想することがないと形だけになってしまうのです」と話す。

私たちは、先人たちの歩みの積み重ねのうえに今がある。その足跡に敬意を払い、学ぶ。その学びが未来を拓く力となる。

そんな学びの場を「愚直に」創り続けているのが「竜田を語る会」である。

竜田を語る会のメンバーの方々(令和2年11月21日開催「第38回五個荘コミセン歴史講座」<五個荘地区文化祭で開催>を終えて)

(聞き手:市田 衛・奥村 昭)

(報告:社会福祉法人六心会 地域支援担当 地域支え合い推進員 奥村 昭)

 

「竜田を語る会」

会 長:高野 勝次 事務局長:市田 正尚

事務所:五個荘竜田町自治会館

住 所 〒529-1421

滋賀県東近江市五個荘竜田町405-1

電 話 0748-48-5640

ホームページ https://36kasen.localinfo.jp/