常に住民の皆さんの近くに

五個荘地区民生委員児童委員協議会 会長 西 義一さん

 

五個荘地区民生委員児童委員協議会で4年間会長を務めておられる西義一さん。

コロナ禍で住民の暮らしに様々な影響が出るなか、民生委員・児童委員として感じていること、その「想い」をお伺いしました。

 

―はじめに、西会長のプロフィールをご紹介ください。

 

小さい頃から泣き虫で、人見知りが強く、人と話すより一人でいることが多かったです。

地元の公立高校から一般の私立大学へ進学し、卒業後、重症心身障害児者施設「第二びわこ学園」(現在の「びわこ学園医療福祉センター野洲」)で1年間臨時職員として勤務しました。

その後、特別養護老人ホーム「やわらぎ苑」で3年、同じ法人の障害者福祉施設の「むつみ園」で約3年勤務し、財団法人滋賀県民間福祉振興財団で15年、事務局長を最後に44歳で退職しました。

退職して自坊のお寺を継ぎ、父親の死後、50歳から民生委員・児童委員となり現在4期目で五個荘地区民生委員児童委員協議会(民児協)の会長は2期目になります。

 

 

 

 

 

 

―大学を卒業されてから、ずっと社会福祉の仕事をされていたのですね

 

全く違う道を歩むはずでした。ただ、両親の希望とその生き方が、私の生き方に影響したのだと思います。

仕事を通して命の大切さを学び、ハンディを持っても精いっぱい生きる人たちと、その人たちを支援する多くの方々との出会いで今があると感じています。

地域で活動するうえで、同級生と出会う機会が多いのですが、「人前でしゃべってる」と驚かれる有様です。

私としては今も昔もあまり変わっているようには思わないのですが。(笑)

 

―社会福祉の仕事をご経験されたなかで、印象的な出来事がありましたらご紹介ください

 

第二びわこ学園時代のことです。

ある園生さん(当時は利用者を園生と言っていた)が昼食のサンドイッチをいつまでも食べない。下げようとすると『ウウ』(いや)という。それでいて食べずに何かを待っている。

そこで、ベテランの保育士さんが口に運んでみたけど食べない。他の職員が声掛けしても食べない。

その時私は、ある出来事を思い出し、「もしかしたら」と思い、スプーンを彼のテーブルに置きました。

すると彼は「ウウ」と身体を震わせて食べようとします。スプーンでサンドイッチを突き刺そうとしますが、刺せないのでスプーンを持ったまま左手でサンドイッチを食べ始め、全部平らげて満足気でした。

職員は「手で食べたら良いのに何でスプーンが必要なの?」と不思議な様子でしたが、「よく気が付いたね」と言ってもらえました。

「ある出来事」とは、園外活動で琵琶湖に水遊びに行ったとき、お弁当はいつものように具入りおにぎりだったのですが、彼だけ食べなかったのです。

ベテランの職員さんに聞くと彼は遠足やバス旅行になるとお昼を食べない。環境が変わると食事しないということでした。

私も声掛けして挑戦しましたが、食べない。

あきらめかけたのですが、いつもスプーンで食べているからではないかと思い、スプーンを彼に渡したのでした。すると、今まで全くおにぎりに手をつけなかった彼がスプーンを持ったまま食べているではないですか。

他の職員方が「〇〇ちゃん食べてる、えー、何、初めて外食で食べた、どうなってるの?」とびっくり。私がスプーンを渡したというと、「なんで、そんなことで食べるの?」とのこと。

その後、園外活動には必ず彼用のスプーンが用意されたのです。

サンドイッチの話は当時の第二びわこ学園の「棟だより」にも掲載していただきました。ただ一つ私の療育活動の足跡です。

 

―当時の第二びわこ学園園長の岡崎英彦先生は「本人さんはどう思ってはるんやろう」とよく語っておられました。彼はスプーンをもって食事をしたかったのですね。

西さんは、まさに本人さんの思いに気づき、それに寄り添われた。素敵なエピソードをお話いただきありがとうございました。

―民生委員・児童委員活動への想いをお聞かせください

 

民生委員制度ができてから百年以上が経過し、その間多くの人たちがその任に就き、住民の方々の「人に言えない困りごと」の相談に乗り、その解決に尽力してまいりました。

相談に乗るなかで、当人の身勝手な発言に腹の立つことや、投げやりになりかけることもあるでしょうけど、民生委員の仕事は「役目」だと思っています。誰かがしなければいけないこと、それが「役目」です。

人に為に何かをするというのは大変な重圧です。いつ何時助けを求められるかわかりません。話し終わるまで聞くことの大切さ、根気のいる「役目」だと思うのです。

すべての相談に答えが出せるわけでもありませんが、少しでも相手のためを考えてよい方向へ導くことが役目だと考えています。

この10年間で感じることは、働き方が変わってきたということです。五個荘地区でも幼児園が3か所できましたので、女性も働きやすくなったと思います。

働く女性が増えていますので、女性で民生委員・児童委員を引き受けてくださる方が以前に比べて少なくなってきています。

また、定年延長や再雇用により60歳を過ぎても働く方が多くなっています。以前は40歳代から委員に委嘱され20年以上活動をされる方もいらっしゃったのですが、今は60歳半ば以降です。

なので、近年は委員のなり手が不足しています。

委員の選任については自治会推薦の原則があります。五個荘の自治会によっては、委員を1期3年で交代しているところもあります。地域での民生委員・児童委員交代制です。

より多くの方に委員を経験してもらおうという考え方です。自治会の多くの方が委員経験者となれば、委員のOBが増え、民生委員・児童委員活動や地域活動が進めやすくなりますから、事情は理解できます。

民生委員・児童委員の大先輩からは『民生委員は3日3月3年3期という信念』を教えていただきました。その教えは今でも大切であると思っています。

一方で地域の実情に応じて柔軟に民生委員・児童委員活動の継続・継承の仕方があってよいと思います。それが「なり手不足」の解消にもつながるのではないかと思います。

「民生委員・児童委員のプロ」にはなれない(できない)と思いますが、民生委員・児童委員の経験をするなかで「住民のプロ」にはなれるのではないかと思います。

「住民のプロ」は地域の人を知っている、地域の人を気にしている、お節介という得意技を持っています。

 

―コロナ禍で民生委員・児童委員活動にも大きな影響が出ているのではないでしょうか

 

民生委員・児童委員は地域の方々との関わりのなかで活動しています。人と人とが出会わないと活動がやりくいのです。

電話したり、手紙を出したり、情報が掲載されたパンフレットを配布したりして「出会わない」活動もできないことはないのですが、出会うと話しができます。

「出会って話す」ということは人と人が生活している限り、抜きにすることはできないと思うのです。

人と出会って話さないと情報は入らない。出会って相手の話を聞くだけで、自分からは話さないということでは双方向のコミュニケーションは成立しません。

そして、自治会での活動が減っています。運動会もカラオケといった行事も中止になりました。ふれあいサロンや老人クラブの活動などは休止となり、続けているのは2~3割ではないでしょうか。

民生委員・児童委員の仲間からは「地域の人が寂しがっている」と聞きます。

一番困っているのは、小・中・高校の1年生です。新学期に休校措置があり登校できなかったから、学校での新しい生活パターンが作れないのです。

五個荘地区の民児協定例会も5月、6月は資料配布のみでした。7月からスクー形式での会議が再開しましたが、研修会はほとんどなくなりました。

そんななか、市と市社協の後方支援がありがたかったです。市はマスクが不足していたときに、寄贈のあったマスクを民生委員に一人一箱を配布してくださいました。

自らの感染予防と担当地域でマスクがなくて困っている方にお渡しすることもでき、大変助かりました。

市社協は、手作りマスクにメッセージカードを募集され、多くの方々から支援いただき、見守り活動として民生委員・児童委員が配布させていただきました。

社協と民児協は車の両輪です。両輪をうまく回して前にすすんでいくには、やはり普段から話をしていることが大切だと思うのです。

 

―最後に、メッセージをお願いします

東近江市の民生委員制度創設百周年記念誌の取材で、野瀬たまえ元会長の取材をしたときの言葉が忘れられません。

どんなに時間をかけて話をしても聞いてくれない人に「あなたのためよ、あなたのためにしたことよ」と話をされたそうです。

相手が納得しようがしまいが、私は「あなたの為」に言っている。最後にはそれが相手に伝わる。要は本人がよく考えることが大切と気づいてもらいたい。

取材しながら、こういう温かみのある対応が民生委員・児童委員への教えだと思って活動しています。

民生委員・児童委員活動は五個荘にお住まいの住民の皆さんのためのものです。

まだまだ、勉強と研鑽の毎日ですが、今後とも地域の住民のすぐそばにいる民生委員・児童委員でありたいと思います。

 

 

(聞き手・編集 社会福祉法人六心会 地域支援担当 奥村 昭)